春の御田祭(おんださい)(3月7日)の播種(はしゅ)神事にて播いた籾から育った苗より、お植行事を執り行い、未熟な青い稲生をこの日一部刈り取ります。これによりこれまでの無事育成に感謝するとともに、210日・220日などの台風時期を前に荒い風雨に稲穂が害なわれないよう、御神前に献上し五穀の豊穣を祈願する祭です。
神功皇后が渡韓された際、住吉大神の御神徳により無事御帰還されたことに対し感謝され、「相撲」と「流鏑馬」とを以て御神慮を慰められました。
これに由来し、稚児行列や流鏑馬、また御縁をもとに5校(住吉、春吉、東住吉、春住、美野島)の小学校による少年相撲が行われ、地域の少年横綱が決定致します。
陽成天皇の元慶2年(878年)、外つ国の海賊が我が国の海辺を伺わんとする気配があったので、平季長(たいらのすえなが)を勅使として当社に奉幣し、国家の無事を祈願しました。その霊験はあらたかで賊の災いはなく、その謝礼として、当時の大宰府政庁の役人が境内に於いて南西の方角(裏鬼門)に向かって歩射を行ったのが起源とされています。この神事は国家鎮座の祈念として、歴代天皇は度々勅使を下向させ、ときの国主も度々参拝されたと伝えられています。
鞴祭(ふいごさい)とは別名たたら祭ともいい、諸国の鍛冶屋が仕事を休み、鞴を清めて注連縄(しめなわ)を張り、祭壇に新穀、新酒、蜜柑(みかん)、海の幸を供え(不浄の意味で四つ足は近付けない)祖神の御加護を感謝する祭のことです。当社でも鞴(ふいご)を供え、職人をはじめ多くの参拝者を集め祭典を行います。
我が国では、古くから男女三歳で髪置、男児五歳で袴着、女児七歳で帯解の祝いを行い、幼児等の無事育成を祈願してきました。当社では11月中七五三成育祈願祭を行っています。